新しい世界観を採用する
「人生は一度きり」
当たり前のことのように語られるフレーズだが、果たして本当だろうか。
この人生を終えた後に別の人生があるかないかは、死んでみないとわからない。
だとしたら
「人生は何度でも生きられる」
という世界観を採用して生きることもできる。
そしてこの世界観は「ゆっくり時間を味わう」生き方ととても相性がいいのだ。
「人生は一度きりなのだから、好きなことしないともったいない」という世界観だと、その人の持っている時間は有限である。
「やりたいこと」リストを作成して優先順位をつけ、人生の残り時間を計算して割り当て、こなしていくだろう。
1つ1つの「やりたいこと」は、その時にしっかり味わい尽くさないと、もう二度とできない。
なぜなら残りの時間には他の「やりたいこと」が詰め込まれているからだ。
いつしか目的は楽しむことではなく、「やりたいこと」リストを計画通り消化することにすり替わる。
そして人生で一度の経験を味わいつくすため、必死の形相で1つ1つの「やりたいこと」に臨むことになる。
「人生は何度でも生きられるから、好きなことをしたらいい」という世界観では、時間は無限にある。
その時にやりたいと思いついたことをやればいい。
やってみて楽しかったら、何度でも飽きるまでやればいいし、飽きたらまたその時に思いついたことをやればいい。
計画なんて必要ない。なぜならこの人生が終わっても、いくらでも時間はあるのだから。
1つ1つの経験を、余裕を持って心ゆくまで味わえる。
死ぬその瞬間まで「生まれ変わったら、あの場所にもう一度行こうかな」とか「今度の人生ではこれをやってみよう」とか、楽しく妄想しながら死ねるのだ。
「もし死んで実際そこで終わりだったらどうするんだよ!」という声も聞こえてきそうだ。
でももし死んで終わりだったとしたら、やり残したことを悔やむこともできない。
こうしておけばよかった、と反省することもない。
もう死んでいるのだから。
それならば生きている時間を、余裕と希望を持ってゆったり過ごす方が幸せじゃなかろうか。
血眼でノルマをこなすよりも。
以上の理由から、私は「人生は何度でも生きられる」という世界観を採用して生きている。
世界にはいろいろな宗教があるが、なんであれ自分が今幸せに過ごせるものを勝手に採用すれば、世界は平和だと思う。
人生の目的は「幸せに生きること」以外にありえないのだから。